このコンテンツは獣医療従事者向けの内容です。
動物病院業界では慢性的な人材難が続いています。獣医学生や動物看護学生の就職先が多様化している一方で、人材の数は大幅には増えていないため、多くの企業や動物病院で少ない人材を取り合うような状態が長らく続いているためです。また、獣医師、動物看護師、トリマーの女性比率が高いことから、結婚・出産などのライフイベントによる離職やキャリアの分断なども生じやすいという傾向があり、人材難が大きく改善することは今後も考えにくいでしょう。
だからこそ動物病院にとって、スタッフの定着率を向上する(離職率を下げる)ことは大切な課題です。今回はそのポイントについてご紹介します。
動物病院のスタッフにヒアリングをしていて、不満の声として挙がることが多いのが、「自分がどのように評価されているかわからない」「院長にどう思われているのかわからない」ということです。この傾向は、獣医師、動物看護師、トリマーなど職種を問わず、共通しています。「自己肯定感」という言葉が世の中に定着して久しいですが、日々仕事をしていく中でこの自己肯定感は欠かせません。自分が必要とされている感覚、自分が所属している組織に貢献できているという感覚、それこそが仕事へのモチベーションや組織に対するエンゲージメント(前向きな愛着心のようなもの)につながるのです。そして自己肯定感の醸成のために必要不可欠なのが、個別のフィードバックや評価です。
評価制度などの詳細な手法についてはそれだけでコラムが数本書けるような内容なのでここでは省略しますが、第一歩としてまず実行していただきたいのが「病院としての理念や評価基準を定めて、スタッフに示すこと」です。院長がスタッフに何を求めているのか、この病院では何を頑張れば評価されるのか、を明文化して示すことが、評価の第一歩となります。
それをスタッフに示したうえで、半年に1度、1年に1度などある程度の頻度で各スタッフと個別に面談を行い、できていることを褒め、できていないことを叱ったり励ましたりする、というフィードバックをすることが大切です。とてもシンプルなことですが、それだけでスタッフの自己肯定感は大きく上がりますし、このシンプルなことができている動物病院は意外と少ないのです。
獣医師、動物看護師、トリマー、いずれの職種についても、若い頃からその職業を志して進路を決めた人が多く、職業に対するモチベーションや成長への意欲は、他の業界と比較しても高い傾向があります。就職先を決める際にも「教育が充実しているか」「自分が成長できるか」という点をポイントに挙げる求職者は、今も昔も非常に多くいます。
ただし、かつては教育の充実を示す要素として「症例数が多い」とか「医療機器などの設備が整っている」という定量的な要素が重視される傾向があったのに対して、最近では「教育のカリキュラムやマニュアルが整っている」「丁寧に教育をしてくれる」「学会やセミナーへの参加ができる(金銭的な補助も含め)」ということが、より重視される傾向にあります。
特にこの業界は新入社員が入社してくる春が最繁忙期と重なるため、新人への教育が疎かになって、新人が自己の成長を感じられずに無力感を募らせて早期に退職してしまうということが後を絶ちません。特に新入社員に対しては、「何月までに何をできるようになろう」「○○は後回しでいいから焦って覚えなくても大丈夫」といった教育の目安や優先順位をある程度示したうえで、教育担当者を決めてマニュアルなどの資料も活用しながら教育するなど、丁寧な対応をすることが望ましいです。
以前、ある動物病院の院長先生から「病院の人間関係が悪くてスタッフがすぐやめてしまうのですが、給料を上げれば離職率は低下するでしょうか」という相談を受けたことがあります。効果がゼロとは言いませんが、ほとんど意味はないと思います、と回答しました。働くうえで、職場における日々の居心地の良さや働きやすい環境を求めない人などいませんし、それは報酬や教育など他の要素で容易に埋め合わせできるものではないからです。
有名なマズローの欲求5段階説でも、まず求められるのは「健康であること(生理的欲求)」「安全なこと(安全欲求)」や「周囲と良い関係であること(社会的欲求)」とされており、その後にようやく承認欲求や自己実現欲求などのより高次な欲求が出てきます。「プライベートそっちのけで、ひたすら仕事だけしていたい」とか「経験さえ積めればどれだけ人間関係が悪くても構わない」という人は、動物病院に限らずほとんどいないでしょう。
福利厚生などを充実させるのももちろん良いことですが、それよりも先に
- 過度な長時間労働はないか
- 十分な休息が取れ健康に働ける環境か
- 時間外労働に対して賃金は出ているか
- 職場に会話や笑顔があるか
- パワハラ、セクハラなどはないか
- スタッフの家庭や生活への理解はあるか
といった、ごく基本的なところから見直していただければと思います。
そこがぐらついているような職場では、福利厚生、教育、評価など、より高次な取り組みをしたところで、スタッフの定着度は上がりにくいでしょう。
【2024年9月/文責:動物病院経営パートナーEn-Jin 代表取締役 古屋敷 純】