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日本
FUJIFILM Finechemical News
研究者へのインタビュー
並外れた光可逆的粘弾性変化を示すシリコーンエラストマーの開発 ~市販のレーザーポインターをあてるだけで簡単にはがせる解体性粘接着剤用途に期待~

今回は、東京大学豊田研究室の博士課程 2 年 岡美奈実さんにお願いしました。

豊田研究室は、生命の基本的性質を物質科学として理解するために、有機化学や高分子化学をベースに “生命らしさ”をもつ有機分子集合体を創って理解することを目指す研究室です。分子集合体のダイナミクスを誘導することで,階層化した時間発展システムや,階層化した機能をもつ物質をつくりあげることに力を注いでいます。今回、岡さんは外部刺激によって分子集合体の構造が変化して、物性が大きく変化するような物質を創り、Advanced Science 誌に報告しました。この成果はプレスリリースとして発表され、さらにAdvanced Science 誌の表紙も飾りました。

“Photocleavable Regenerative Network Materials with Exceptional and Repeatable Viscoelastic Manipulability”
Oka, N.; Takagi, H.; Miyazawa, T.; Waymouth, R. M.; Honda, S. Adv. Sci. 20218, 2101143. DOI: 10.1002/advs.202101143

岡さんを指導した本多先生より、岡さんの人物像についてコメントをいただいています。

魔の手に導かれた岡さんは、研究における一つ一つの作業を本当に丁寧によく観察してこなします。また納得できるまでやり続ける忍耐強さも持っています。その丁寧さと観察力が思いがけない研究展開を生み出すきっかけになることもあります。そうした研究展開があまりに面白くてマルチタスク化していき、修士の頃にはどの研究展開も70-80%程度の完成度であと一歩のところで論文にできずにいたのです。しかし、ここにきてジグソーパズルの最後の数ピースが次々にはまるように研究が完成し、怒涛の勢いで論文を残していってくれています。書道を研究に組み込む展開も、書道の師範である彼女でなければ出来ないもので、その多彩さには本当に驚かされるばかりです。そんな岡さんが、物質にスポットライトを当てた今回のプレスリリースの研究(Adv. Sci. 20218, 2101143)と、方法論にスポットライトをあてた研究(Commun Chem. 20214, 130)を続けざまに出したので、楽しんでもらえると嬉しいです。

実は岡さんは、以前にもインタビューに登場しています。そのときのテーマはサイドワークに相当し、今回の成果がメインワークに当たるそうです。今回のインタビューでは、メインテーマならではの思い出や、本多先生のお話にもある博士課程進学のきっかけとなった “魔の手” に関してお話しいただきました。博士課程の学生の素直な思いが詰まったインタビューをぜひお楽しみください!
なお岡さんは、本多先生のお話の中にある「方法論にスポットライトを当てた研究」に関しても、Communications Chemistry 誌のウェブサイトのインタビューでハイライトされています。そこでは研究と書道の接点についてもお話しされているので、併せてご覧ください (岡美奈実氏:シャーペンの芯を電池に繋ぐだけで簡単に実現できる高分子間カップリング反応 ~オイルの粘度制御からゲル合成まで~)。

今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?

無溶媒下で光刺激を及ぼすだけで繰り返し粘弾性が大きく変化するシリコーンエラストマー(ゴム)を開発しました。

このエラストマーを介して2枚のガラスを貼り付け、市販のレーザーポインターを照射すると、エラストマーの粘弾性が低下して遠隔的にスライドガラスを剥離することができ、「光で解体・再利用できるフォトメルト粘着剤」としての応用に成功しました(図1a)。また、スライドガラスと積み木をエラストマーで繋げ、連結部分にレーザーポインターを照射するとエラストマーそのものを切断でき、「光で切れるゴム」としても応用できました(図1b)。

図1. (a) 光で解体・再利用できるフォトメルト粘着剤、(b) 光で切れるゴム

本材料は、シリコーン材料の一種であるポリジメチルシロキサン(PDMS)の光刺激による形状変換、すなわち網目状PDMSの切断・再生 (図2) に伴う粘弾性変化が鍵となっています。有機溶媒を必要とせず、解体・再利用可能であることから、持続可能な社会への貢献が期待できます。

図2. 光刺激による網目状 PDMS の切断と再生
本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください

本研究は修士課程1年生からメインで続けてきたテーマであり、「思い入れがあるところ」を正直に挙げるとすると、実験過程から結果までの全てです。また、本テーマは本多先生と二人三脚で取り組んできた思い出深いテーマでもあります。

私が修士課程1年生として研究室に配属され、合成をわずか1ヶ月程度学んだ段階で、本多先生は研究のために約1年間のアメリカ留学へ旅立ちました。時差によりリアルタイムで相談できないこともあり、本テーマを始めて間もない私は、一人であれやこれやと試して時には失敗することもありました。それでも帰国後に「是非博士課程に進学してほしい」と私を見込んでくれた本多先生のおかげで、今回このような形で成果を発表することができました。

また今回、論文Coverのお話が舞い込んできました。レーザー光で網目が切断されて星型になる様子をイメージした書道+折り紙の第二弾で(リンクはこちら)、CGではなく全て実際に机上で作ったり撮影したりしたものです(図3)。研究を通じて日本の文化を世界に広めていけたらいいなと思っています。

図3. 論文Coverデザインに使用した書・折り紙およびレーザーポインター

今回ご紹介する論文に加えて、Communications Chemistryに報告した関連研究でも、論文にこそ載せませんでしたが導電性のある墨汁で書いた文字を有機電解合成の電極として使ってみました。趣味と研究がリンクすると、研究だけとは一味違った楽しさも出てきます。

研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?

最も難しかったのは、「固体(エラストマー)状態で」粘弾性が大きく変化するPDMSを合成することです。私たちはこれまでにも高分子鎖の切断・再生に伴って粘弾性が繰り返し変化するPDMSを報告してきましたが、その変化は液体状態(G’<G’’)の流動性変化であり、固体状態(G’>G’’)を維持したまま硬さを大きく変化させられる「エラストマー」の報告は今回が初めてです。

エラストマーを実現するため、網目の前駆体となる星型PDMSに着目しました。より均一な網目は優れた機械的特性を示すことから、前駆体の分子量分布を狭く(星型の各腕の長さを揃えるよう)コントロールして均一な網目を形成することを目指しました。詳細は省きますが、2017年に当研究室で報告した星型PDMSは分子量分布(1.0に近いほど単分散)が1.8と広く、ここから重合開始剤と触媒の検討を経て分子量分布を1.1未満にすることができ、今回の成果に繋がりました。

余談ですが、修士時代に分子量分布を1.4以下にすることができ、一度論文を投稿しました。しかし、分子量分布が広いという理由でrejectになりました。そこで、本多先生が留学先(Stanford Univ.)でのProf. Waymouthとの研究で出会った触媒を私の研究にも応用してみたところ、うまく組み合わせることができ、様々な条件検討を経て今回の論文掲載にたどり着くことができました。今となっては(結果的に)研究の完成度を高めてハイインパクトなジャーナルへと導いてくれた修士時代のrejectに感謝しています。

以前のインタビューで、「本来であれば今頃、とある大手化学メーカーの研究職に就いているはずでした」とお話しいただきました。今振り返って、博士課程に進学してよかったと思うことは何ですか?悪かったと思うことは何ですか?

【進学して良かったこと】
修士課程の2年間ではできなかった様々な経験ができたことです。その一つが今回の論文掲載かもしれません。修士課程ではあと一歩のところで掲載には至りませんでしたが、進学したことで自分のメイン研究が論文になり、今は嬉しい気持ちでいっぱいです。また、大学院生活が2年間から5年間に延びたことで、「少し時間がかかりそうだけど完成したら面白いだろうな!」と思うテーマに挑戦したり、興味のある短期テーマを複数やってみたりと、研究の幅が広がったと感じています。企業との共同研究など2年間では物足りなかった部分も、進学したことで’’その先’’を見ることができています。

さらに、思考力が身に付いたことも良かった点です。失敗を次に生かしたり、実験のセットアップを考えて自作したり、博士課程に進学したからこそ柔軟に考える余裕ができた気がします。

【進学して悪かったこと】
やはり将来に不安を感じる点です。既に転職を経験した友人や結婚を機に退職した友人を見ていると、自分で選んだ進路とは言え、就業経験がないままずっと学生でいいのかと悩むことも多々あります。以前のインタビューでは「本多先生の魔の手に導かれて(就職をやめて)今ここにいます」と回答しましたが、明るい将来が見えたら「天使の手」に訂正しようと思います(笑)。

最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします

研究は基本的に自分との闘いですが、振り返ってみると、本当に多くの人に支えられてきたことに気が付きます。研究以外でも、何気ない日々の会話で私を笑顔にしてくれた同期や友人をはじめ、多くの人に支えられてきました。これまで関わってきた全ての人にこの場を借りて感謝申し上げます。

そして、これからも皆さんに支えられながら、私は全力の笑顔で前へ進んでいきます!そんな姿が、今度は誰かの支えになったらいいなと思います。