富士フイルムは、ヘルスケアの領域でさまざまな先進的なソリューションを提供している。
そのイノベーションを支えているのが、IT分野の高度な技術力だ。
CT・MRIなどの断層画像から高精度な3D画像を生成し、解析を行う3D画像解析システムにも、IT技術が大きく貢献している。
肝臓や肺の領域では、すでに業界標準となっている同システムだが、今回新たな領域のアプリケーション開発に、一人のITエンジニアが挑戦した。
彼女が語る「開発への想い」とは──。
「外科の先生はスーパーマンだ」──3D画像解析システムの新領域のアプリケーションを共同開発する医師の話を聞いて、率直にそう思った。
「外科の先生方は、CTやMRIで取得した何百枚もの2D断層画像(輪切りの画像)を基に、ご自身の頭の中で画像を3D化しているとおっしゃったのです」
その高度で複雑な作業を画像認識や領域抽出などのテクノロジーで代替できれば、医師たちの負担が減り、より適切な治療の一助になるかもしれない。新領域のアプリケーション開発だけに課題は山積していたが、なんとしてでも完成させたいと意欲がわいた。
そうして、3年に及ぶこととなる、開発プロジェクトはスタートした。
「当社の3D画像解析システム」は、CTやMRIなどの断層画像から高精度な3D画像を生成し、解析を行う3D画像解析システムだ。モニター上で部位が3D画像で可視化され、診断時のみならず、より最適な手術のために、手術前に正確な摘出範囲などのシミュレーションにも活用できる。医師や医療スタッフの負担軽減と診断の精度向上につながり、患者にとっても、医師からの説明が理解しやすくなるというメリットが生まれている。
そもそも彼女がCG(コンピューターグラフィックス)による情報の視覚化に興味を持ったきっかけは、『マトリックス』に代表されるSF映画だった。緻密な映像表現に感動し、学生時代は情報工学を学び、自らもCGを作るなど画像処理や画像認識の研究に明け暮れた。就職活動では、自身の専門を生かすべく、IT系の会社に狙いを定めていた。
しかし、ある合同企業説明会に参加したとき、たまたまとおりかかった富士フイルムのブースで足が止まった。
「写真やカメラだけでなく、医療や化粧品など幅広い分野で事業を展開していることを初めて知り、興味がわきました。ここなら自分の研究をさまざまな分野に生かせるかもしれないと思い、入社を志望しました」
2013年に入社し、半年間の研修後、ソフトウエア開発センターに配属となった。その後、デザイン部門に異動し、医療機器のユーザーインターフェース開発を担うと同時に、視線や音声、ジェスチャーなどによる機器操作の研究開発を経験した。そして2018年、医療機器のIT開発部門へ異動となり、3D画像解析システムのアプリケーション開発を担当することになった。
同様の3D画像解析システムは他社にもあるが、「当社の3D画像解析システム」は、複雑で難しい条件の画像に対しても高精度・高速に部位を自動抽出できること、そして医師や技師のニーズに応じたきめ細かな解析ツールを提供していることなどが高く評価され、肝臓や肺の領域の3D化において業界標準になっている。しかし、すべての領域の3D化をカバーするには至っておらず、いまだ手つかずの領域がいくつかあった。肝臓や肺以外の領域でも、3D画像を用いた手術前のシミュレーションのニーズはあったが、開発が進んでいなかった。その要因としては、細かい血管が多いことや、軟骨、筋肉の層や神経などコントラストのはっきりした画像を取得しにくいこと。画像認識の難易度があまりに高かったのだ。
そんな中、彼女は医療機器IT開発部門へ異動して数か月で、その新領域向けのアプリケーションを医師と共同開発するプロジェクトを託された。
「今回のプロジェクトは、単に新規のアプリケーション開発というだけではなく、自社・他社含めて未開拓の領域に携われる、またとないチャンスでした。それに、開発中のアプリケーションは社内では『誰々のアプリ』というように、開発者の名前で呼ばれるのです。そのことにも憧れて、異動したばかりで右も左も分からない状態でしたが、二つ返事で飛びつきました」
しかし、プロジェクト開始後すぐ、彼女は医療領域の知識が足りないという壁に突き当たることになる。思うように仕事を進められず、苦悩の日々が続いた。
「新規アプリケーションには、従来のアプリケーションの焼き直しではなく、新領域に特化した機能や精度などが求められます。そのため、どんな映像をどのように可視化すればよいのか、医師の先生方と一から考えていく必要がありました。しかし、いざ議論を始めると、血管名や術式名がアルファベットの略語で飛び交い、先生が何を話しているのか理解できない状態でした。スタートラインにさえ立てていないことに、大きな焦りを感じました。また、プロジェクトが進むにつれ、課題の重さもじわじわと感じるようになりました」
そこで、まずは基礎となる解剖構造を理解するため、参考書などの書籍を熟読し、独学で必死に知識を積み上げていった。しかし、患者さんごとに解剖構造が微妙に違うため、常に書籍どおりとはいかなかった。その際は、医師に何度も何度も質問し、画像上のどこが該当か所なのか理解を深めていった。さらに、関連する主要な学会にもすべて参加した。手術の手技のトレンドは常に変化している。その最新の手技を再現・イメージできるようなアプリケーション開発を行わなくては意味がないため、書籍やWEBでは収集ができない業界の最新情報を常にキャッチアップした。そうして、自身の足で得た有益な情報を社内に持ち帰り、実現可能なのか技術検討を重ねた。
そうした努力を重ねるうちに、少しずつではあるが以前よりも円滑に医師と話ができるようになっていった。課題の洗い出しも進み、開発の方向性が見えてきた。
このプロジェクトを進める中で、改めて医師はスーパーマンだと思った。医師の手術はときに数時間にもおよび、1日に2回行うこともある。その合間をぬって、自分たちとの打ち合わせに時間を費やしてくれている。
「医師や技師など医療に従事する方々は、『どうすればもっと多くの人を救えるか』『どうすれば患者さんの負担をもっと減らせるか』を日々考え、本当に尽力されているのだと痛感しました。3D画像解析システムを通じて、ITエンジニアリングの面から先生方のお力に少しでもなりたいと思いました。それがひいては一人でも多くの患者さんを助けることにつながる、と」
プロジェクトを進めていくうちに、それまで知らなかった患者さんの気持ちに気付く機会もあった。手術で病巣を摘出した際、過剰治療(取り過ぎ)や過小治療(取り残し)が起こると、QOL(Quality of Life:生活の質)が著しく下がり、「助かってもこんな生活が続くなんて」と悲観してしまうことがあるのだ。もし、高精度の3D画像で手術前に正確な摘出範囲をシミュレーションできれば、過剰治療や過小治療をなくせるかもしれない。そうすれば、患者さんたちのQOLを確保できる。3D画像解析システムのプロジェクトを完遂させたいと強く思った。
この想いが、困難な開発を前へと進める最大の推進力になったと彼女は語る。
「アプリケーションは、入力する画像が同じであれば常に同じ判断を提供し、バラつくことがありません。しかも、大量のデータを高速で可視化できます。先生方が必要とするイメージをテクノロジーで可視化し、先生方や医療スタッフを適切にサポートするとともに、その先にいる患者さん方のQOL向上にも貢献する。それこそが3D画像解析システムに携わるITエンジニアとしての使命だと考えました」
彼女の熱意を、社内で起きた二つの変化が後押しした。
一つは、AI技術の進化だ。先述したように、新領域における画像生成は難易度が高い。そこで、富士フイルムのメディカルAI技術ブランド「REiLI(レイリ)*」によるディープラーニングを活用した。医師に相談してAI技術 で学習させるべき画像を選び、画像認識と画像生成の精度と速度を高めた。
もう一つは、職場環境だ。このアプリケーション開発に関わる人間が部署の垣根を越えて1つの拠点に集められ、スピーディーかつ効率的にコミュニケーションできる環境が整えられた。
「研究所のスタッフや営業、品証(品質保証)、知財(知的財産)の人たちが、私たちと一緒の拠点にいます。確認したいことがあれば、すぐに『どうなった?』と声を掛けられますし、意思決定も速い。営業には元技師の方も多く、専門的な質問にも答えてもらえます。各分野のスペシャリストとすぐに連携できる、非常に恵まれた環境にいることを実感しました」
そしてプロトタイプが完成した。実際に動かして医師の意見を聞き、要望を即座に反映し、再び評価してもらう。それを繰り返していた中で、医師から「この見え方!インパクトありますね。手術前にこれが見えると助かります」と好反応があった。医師の“脳内3D画像”と3D画像解析システムのアプリケーションが提供する3D画像の方向性が一致した瞬間だった。
「その言葉をいただいたときは本当にうれしかったです。これで製品化できる!と思いました。プロトタイプを使って、実際に先生に何度も試していただき、具体的な見え方を確認していただけたことが大きかったです」
3年間にわたる長いトンネル。ようやく出口の光が見えてきた。
REiLI(レイリ)とは?
富士フイルムは、医療画像診断支援、医療現場のワークフロー支援、そして医療機器の保守サービスに活用できるAI技術の開発を進め、これらの領域で活用できるAI技術を、“REiLI(レイリ)”というブランドで展開しています。
「患者さんには、安全な手術を安心して受けてほしい。でも、そんな当たり前と思っている医療を実現するために、先生方は常に患者さんのことを考え、昼夜問わず尽力されていることを実感しました。開発は3年と長期におよびましたが、そんな先生方の熱意とともに歩めたからこそ、乗り切れたのだと思っています。その意味でも、先生方にはとても感謝しています」
新規アプリケーションの開発はヤマ場を越えようとしている。『彼女のアプリ』が世の中に出ていく日も近い。展示会に出展できたら、ぜひ説明に立ちたいと意気込んでいる。
「広くご意見をいただきたいです。中には厳しい評価もあると思うので、もちろん怖さもあります。しかし、医師や技師の声を直接聞けるITエンジニアは多くありません。その絶好の機会を生かし、いただいた声をバージョンアップにつなげ、より使いやすいものに仕上げていく。ゆくゆくは、その領域での業界標準にまで育てたいです」
それが達成できたら、新たに挑戦したいことがあると目を輝かせる。
「また新規開発にチャレンジしたいです。今回、多くの困難があり大変でしたが、大きなやりがいを感じました。私は新たな分野を開拓していくことが好きなのだと、気付いたのです」