2020年夏に向けて、いま日本では国を挙げて、 4K・8K放送の実用化が急ピッチで進められている。
そのために欠かせないのが、高精細なレンズの開発だ。
富士フイルムのキーマンとなっている一人の開発者に レンズ開発の魅力、そしてこれまでの挑戦を聞いた。
アスリートたちの手に汗握る戦いの、臨場感ある映像を自宅のテレビや公共施設の大画面に届けるために国を挙げて進めているのが、4K・8K放送プロジェクトだ。「その取り組みを、実は富士フイルムも支えているんです」と語るのは、レンズの開発・設計に携わる彼だ。
「家電量販店で4K対応テレビをご覧になった人は多いと思います。でも、実はディスプレイだけが4Kになっていても、美しい映像を見ることはできません。被写体を撮影するカメラやレンズ、大容量のデータを送信する放送システムなど、システム全体がレベルアップして初めて4Kが可能となるのです」。そう、4K・8K放送とは、日本の高度なモノづくり技術の結晶なのだ。
「2007年に入社して11年余り。これまでレンズの開発・設計一筋に働いてきました。現在はその経験を生かし、4K・8K放送用レンズの開発にも携わっています(図説1)。これまでにない画期的なレンズをぜひ作ってみたいですね」と、彼は未来を見据えて語る。 その想いの裏にあるこれまでの彼のキャリアとは、どのようなものなのだろうか。
非球面レンズとは?
富士フイルムは、画面中心から画面隅まで高解像度での撮影を可能とするために、通常の球面レンズだけではなく超高精度な非球面レンズも使用。
また、レンズ表面での光の反射を抑える薄膜を蒸着することで(レンズ一面の透過率は99.8%以上)、非常にクリアでヌケの良い映像が得られ、ユーザーからも評価が高い。
「映画が好きで、学生時代はよく映画館に足を運んでいました。一方で専攻は宇宙物理学。宇宙で一番初めに誕生した星の成り立ちを考察するなど、ロマンあふれる研究に没頭していたのです」。
しかし、就職を控えて彼はある決断をする。「宇宙物理学は確かに魅力ある学問です。でもそれ以上に、社会に直接貢献できる仕事がしたいと思い始めました。どうせやるなら趣味の映画と関連のある企業で働きたいと、シネマ用レンズを開発している富士フイルムグループに入ることを決めたのです。レンズや設計に関する知識はほぼゼロからのスタート。約半年間の研修期間で、基礎知識や設計のスキルを必死で学びました」。
その後、彼が配属となったのが、監視用カメラに搭載されるレンズの設計だった。「一口にレンズの設計と言っても、やるべき仕事は多岐にわたります。1台のレンズシステムに搭載される、径や厚み、材料の種類、配置場所の異なる20枚以上のレンズ、さらにはズームの際の可動部位など、一人でさまざまなことを考慮して設計します(図説2)」。
映像用カメラ向けズームレンズの断面図とは?
「鏡胴」と呼ばれる躯体の中には、大小さまざまなレンズが並んでいる。レンズや鏡胴の部品にわずかでもバラツキがあると画質に大きな影響を及ぼすため、製造誤差を考慮した設計が必要となる。
約3年にわたった監視用カメラ向けレンズの仕事を経て、彼に新たなミッションが告げられる。入社動機でもあったシネマ用レンズの開発だった。
「デジタル化で映画撮影用のカメラも小型化していく中で、機動性のある撮影手法が普及し始めていました。しかし、当時最も普及していたズームレンズは1本10キロ以上もあり、扱いやすいとは言えませんでした。そもそも昔ながらの映画撮影では、事前に決められた構図でしか撮影しないので、ズームレンズはそれほど求められてはいませんでした。カメラマンは単焦点レンズを何本も持ち、限られた時間の中で都度最適なレンズに交換して撮影をしていたのです。一方、4Kが新たな映画業界のトレンドとして注目を集めたのもちょうどそのころ。かつてない映像美を求める市場の声は、ますます加速すると予想されました。そこで『小型』『高倍率』『高精細』の3つの特長を満たす、これまでにないレンズを開発しようということになったのです」。
ズームレンズはレンズを複数枚組み合わせる必要がある。当然、全体が長くなる。「小型」という仕様とは相反する条件だ。加えて、一枚一枚のレンズを極限まで薄くしつつも、4Kの高精細を実現しなくてはならない。
さっそく彼はこれまでの経験を生かして設計に取り組み、試行錯誤を重ねた。ところがどうしても目標の性能にたどり着かない。ある焦点距離では解像力が出ていても、別の焦点距離ではわずかに解像力が落ちてしまうのだ。なんとかできないものか――彼は解決策を探そうと、もがき続けた。
「そんなとき、同じフロアで放送用のレンズを設計している先輩が、新しいズーム方式を開発。そのアイディアをなんとか取り入れられないかと何十回もレンズ設計を修正し、試行錯誤を加えた結果、やっとのことで目標の解像力が得られたんです」。
一方、レンズの設計と同時に進行していたのが、レンズを収める「鏡胴」の設計担当者、光学調整を担当する光学技術者、工場の製造担当者との協議だった。彼の作りたいレンズが、目標としているサイズの鏡胴に本当に収まるのか、量産化できるのか――一つひとつの課題をチームで徹底的に検証し、分析する日々が続いた。
「お客さまがいる限り、自分たちがあきらめてしまってはいけないと、必死でしたね。お互いに意見をぶつけ合いながら何度も何度も設計をやり直し、全員が納得のいくものにしていきました」。
こうして社内の協力にも支えられ、なんとか完成までこぎつけた。それが現在の主力製品となっている「ZKシリーズ」の始まりだった。
「今までの努力が報われた、うれしい瞬間でした。かつて主流だった製品から30%ものコンパクト化に成功しました。発売と同時に多くの反響があり、国内外のさまざまな方から高い評価をいただきました。
また、『映画のような美しい映像をテレビドラマにも取り入れたい』というニーズから、大ヒットドラマの撮影に使用いただけたのもうれしかったですね」。
畑違いの宇宙物理学からレンズの世界に飛び込み11年。ヒット商品の開発にも成功し、現在は4K・8K対応レンズの開発にも携わる。 そのモチベーションの源泉は?
「一つ目はお客さまの声です。営業担当と一緒にお客さまを訪問し、製品デモをする機会が多いのですが、そこで聞く声は、思いもよらないものが多い。どうにかして現場の意見を製品に反映してやるぞと気持ちが高まります。そして二つ目が、レンズ設計の正解は一つではないということ。例えば、同じ性能のレンズを設計したとしても、私とほかの設計担当者では、できあがる物は異なります。それぞれの思考や感性が反映されるからです。 そこがレンズ設計の面白いところ。考えることをやめない限り、答えは無限にあるのです」。
学生時代、無限に続く宇宙に夢を馳せた一人の若者。富士フイルムの社員となった今、彼を虜にしているのは、無限の可能性が広がる「レンズ設計」という宇宙なのかもしれない。