写真分野を中心に成長を遂げてきた富士フイルムは、そこで培った技術を発展させる形で新たな事業領域、医薬品事業へ踏み出した。たとえば写真フィルムの薄い層で小さな粒子を安定的に扱う“ナノ技術”という技術は、医薬品の成分を安定的に細かくして体に浸透させる技術に応用できる。写真フィルムの現像に必要な暗室に関わる技術は、医療機器や医薬品製造のために完全無菌の環境を作り出すことに活かせる。
この医薬品事業部で、国内外の企業との契約締結を担当しているのが彼だ。医薬品の研究・開発・製造において国内外の研究機関や製薬会社と連携し、共同開発や共同臨床試験を開始したり、技術や販売網を共有するための契約交渉を行っている。
医薬品事業は「薬を待っている人にいかに早く届けるか」が最優先のミッション。自社の技術を活かしながらも、足りない要素を補うために他社とも組み、より良い薬を作りいち早く世の中に届けようという発想が当たり前の業界だ。元々は写真事業での経験が長くその文化に慣れ親しんでいた彼。写真事業は自社の技術は絶対機密のクローズド・イノベーションの文化であり、独自技術で他社に真似できない製品をつくり出すことこそが市場で生き残る術だと経験してきた彼にとって、医薬品業界の仕事の進め方は新鮮だった。
「自社だけで医薬品を開発し世の中に届けるのは、限界があるし膨大な予算と時間がかかる。待ち望んでいる患者さんたちのもとに少しでも早く薬を届けるためには、自社だけで完結させず、お互いの技術やノウハウをとことん活用し合おうという発想なんですよね」
富士フイルムは医薬品専門の会社にはない、写真の分野で長年培ってきたさまざまな技術を持っている。だからこそ、従来の製薬会社とは違うポジションから医薬品業界にブレイクスルーを起こすことができるかもしれないと、世の中から期待されている。彼の仕事は、国内外の製薬会社や研究機関を相手に納得できるまで幾度も交渉を重ね、契約を成立させること。互いにどんな技術を提示し合うか、どういった条件で関係を築くかといった、双方のビジネス的なメリットを踏まえた上での交渉力が試される。
交渉力などの高度なビジネススキルが求められ、かつ社内外のプレッシャーが大きいこの仕事を彼が乗り越えて行ける理由。それは、彼が過去に経験したMBA留学での経験が大きく影響している。
「日本発の技術や製品で、世界を驚かせる仕事がしたい」それは、彼が学生時代から抱き続けていた夢だった。彼が富士フイルムに入社したのは、日本企業の海外進出が本格化し始めたころ。当時の富士フイルムは『写ルンです』を年間8,000万本売り上げ、名実ともに日本の写真業界を牽引し、グローバル進出を加速している存在だった。その後、デジタルカメラやカメラ付携帯電話などの登場を受け写真フィルムの需要は減少していったが、富士フイルムは写真にまつわるさまざまな技術を応用し多角化、業態転換に成功した。
「誰にも負けない“強い技術”があれば、ほかの領域でも勝負できる。この会社はやっぱりすごいなと、そのとき改めて感じたんですよね」
富士フイルムが技術力を活かして世界で勝負する企業ならば、自分も世界を相手に勝負できるスキルを身に付けてもっと貢献したい。 その想いで、彼は社内留学制度に手を挙げた。
挑戦するなら世界最高峰の大学だと、選んだのはマサチューセッツ工科大学。「技術でイノベーションを起こすことで、世界を良くしていく」という理念を掲げる大学で、日本の技術を武器に世界で勝負したいと考える彼にとっては理想的な学びの環境だった。
何がなんでもこの大学で学びたいという一心で、彼は超難関といわれる入学試験を突破すべく、業務の合間を縫って猛勉強を開始。上司や周りのメンバーも応援してくれ、筆記試験を無事突破。英語は苦手だったが、それを克服するための底知れぬ努力と入学にかける熱意で面接もなんとかクリアし、ついに入学の権利をつかみ取った。
しかし、本当に過酷な日々の始まりは入学してからだった。
「大学での2年間、人生で一番追い込まれた、本当に苦しい日々だったんですよ」とアメリカでの生活を彼は振り返る。
「まず予習のための課題資料が膨大なんですよ。ビジネスに関する文献を1日に100ページくらい読み込んで、自分の考えをまとめていかなければいけない。僕は英語があまり得意じゃなかったので、読むだけですごく時間がかかって1日3時間くらいしか眠れなくて。それで寝不足のまま授業に行くと、今度は授業の英語が全然耳に入ってこなくてついていくのがやっとという悪循環…。でも授業で発言しなければ、授業への貢献度が低いという理由で評価が下げられてしまうんですよね。『WARNIING!(警告)』というタイトルの落第直前を通知するメールが突然届いて、真っ青になったこともありました」
そんな体力的にも精神的にも極限まで追い込まれた2年間で、“サバイブする力”を身に付けたと彼は語る。
「課題と格闘する中で、時間を短縮しながら課題資料を読み解くコツを掴んでいったり、授業中に当てられてわからなかったときに、先生に上手く切り返すテクニックを身に付けたり。しんどくても、わからなくても、できなくて悔しい思いをばねに必死でもがき続ける中で、自分が確実に進歩し前進していける感覚が持てた。 必死にもがいていると、手を差し伸べてくれる友人もたくさんいました。そうやって2年間生き延びてきちんと卒業できたことが、いまの自分の大きな自信になっています」
今でも仕事が大変なとき、彼は留学時代を思い出す。「あんな大変な日々を乗り切った自分だから、今回だって何とかなる」と落ち着いて目の前の困難と向かい合うことができるという。
さらに留学中、言葉や文化、さらには専門性や出身企業も全く異なるクラスメイトたちと授業で熱い討論を繰り返す中で、彼はさまざまなバックグラウンドを持つ相手と平常心で接するバランス感覚も養った。
「周りは名だたる大企業の人や、数学オリンピックのメダリストなど、“まさにエリート”といえる優秀な人たちばかり。彼らの肩書を聞いて『この人たちとどう渡り合っていくか?』と最初は少し気後れしていましたが、慣れてくると、彼らの発言を聞いて、今の意見はあまり深く考えてないなと感じる余裕も出てきたり、逆にそんなこと考えているんだ、すごい!と感心する瞬間があったり。ビジネス上の共通言語で議論するスキルを身に付けると同時に、価値観が違う相手と対等に渡り合うための肌感覚も得られたと思います」
2年間クラスメイトと毎日熱い議論を交わし、信頼関係を築いていく中で体得した、どんな難問にも向き合っていく精神の強さや、先入観に支配されず価値観の異なる相手と対等に渡り合うバランス感覚は、彼にとってかけがえのない財産となった。
帰国後、化粧品の事業部を経て、現在は医薬品事業で力を発揮している彼。2年間の米国生活で得た知識と経験を活かしながら、事業活動の道を切り拓く仕事への誇りを噛み締めながら働いている。
「富士フイルムにしかない技術の力で、世界に打って出ていく仕事をしている。日本の技術で世界を驚かせたいという、学生時代からの夢を叶えられる職場でまさに働いているんだと実感しています」
仕事は上手くいくことばかりではない。むしろ思いどおりに進まないことの方が圧倒的に多い。交渉途中、目標としていた条件までたどり着けず断念したり、締結目前まで進んでいた交渉が最後に決裂してしまったことは何度もある。期限内に契約を結ばなければという社内でのプレッシャーがある一方で、パートナー候補である相手の状況も踏まえてお互いにとってのベストを考える必要もあり、その板挟みになる場面だって少なくない。
失敗を何度も繰り返し、場数を踏んで経験を積み、学びを活かして次の壁に挑み続ける。勉強したビジネスの共通言語やフレームワークを活用して議論することが前提のビジネススクールとは違い、実際のビジネスの現場は、ずっとシビアだ。しかし、留学時に培った、知恵を振り絞って困難を乗り越えていくサバイブ力、バックグラウンドの異なる相手と堂々と渡り合うためのバランス感覚、そしてきっとやり遂げられると信じて前に進む強さ。それらが今も彼を力強く支えている。
「留学中は周りに技術や専門性を持ったクラスメイトが多く、メーカー出身の事務系で技術者ではない自分が、技術で世界をよくすることに本当に貢献できるのだろうかと悩んだ時期もありました。たしかに、僕は世界初の医薬品をゼロから生み出せるようなサイエンティストじゃない。でも新しい技術を世の中にスピーディーに役立てていくためには、自前の技術を活かすだけでなく、市場全体を広く見渡し他社とも協業しながら、ベストな道を見出していく働きかけが必要で、それが僕の大きなミッションだと考えています。
自社の技術と世の中にある技術や知恵を繋ぎ合わせて、患者さんにどうすればより早くいい薬を届けられるか、試行錯誤しながら過ごす毎日はとても刺激的です」
富士フイルムは写真分野で培ってきた多様な技術力を武器に、医薬品専門の会社とは異なるポジションから、新たな道を切り開こうと奮闘している。バックグラウンドや価値観の異なる相手とも堂々と向き合い交渉を進める彼のスキルと精神力は、医薬品という新たな業界で戦いを挑む富士フイルムの大きな戦力となることは間違いない。富士フイルムがこの新分野で更なる飛躍を遂げるため、彼の挑戦は、まだまだこれからが勝負だ。
「日本の技術で、世界を驚かせる」学生時代からの夢を実現するその日を目指して。富士フイルムの技術が持つ可能性を信じ、今日も彼は世界のビジネスパートナー相手に奮闘を続ける。