たとえば私たちは、地域やメディアの呼びかけによってインフルエンザの予防接種を受けにいく。企業や所属組織からは、定期的に健康診断を受けるように要請される。日本は、社会全体で病気の予防や早期発見への意識が高い国だと言えるだろう。しかし、そういった“予防医療”という考え方のない世の中だったならどうだろう。私たちはどれくらい自分の身体を守ることができるだろうか。さらにもしも、予防の文化どころか、予防に必要な医療技術や機器も整っていない国に生きていたならば。
彼が目指したのは、こういった予防医療の文化も環境も整っていない国を日本の技術とノウハウで支援し、その国の医療の底上げを図っていくこと。病気は未然に防げる、あるいは早期発見によって重症化を防げるんだという予防医療の意識を持ってもらい、それを広く普及させていくことで、一人でも多くの人を病気から救える世の中にしたいと彼は熱く語る。
予防医療を導入することで、国の医療環境を底上げしていく――彼がそのミッションを遂行する最初の場所となったのは、ブラジルだった。
彼が予防医療について想いを深くしたきっかけは、ある日本の大学病院が主導したプロジェクトへの参加だった。そのプロジェクトは、日本の大腸がん検診の機器やノウハウをブラジルに紹介し、日本式の予防検診が予防医療に役立つと、ブラジルのドクター向けに証明することを目的としていた。経済産業省から出資を得た国によるプロジェクトで、大腸がん検診に使用される内視鏡機器メーカーとして、富士フイルムもこのプロジェクトに参加することに。そして、当時内視鏡の海外市場担当だった彼は、若くしてこのプロジェクトのメンバーに抜擢されたのだった。
日本の大腸がん検診は、検便を行ったのち、精密検査が必要とされた患者に対してさらに内視鏡で腸内を詳細に検査するというフローで行われる。彼が参加したそのプロジェクトでは、ブラジルにある6つの大学病院に協力を得て、日本のドクターが直接現地のドクターに検診フローや診断のポイントを指導。実際に5000人ほどの現地人に日本式の検診フローで検診を行い、集めたデータを分析して、大腸がん検診の有効性を調査した。
日本式の予防検診がブラジルでも有効だと現地のドクターにデータで証明した時点で、そのプロジェクトは終了となった。だが彼はさらに、予防医療の考え方や仕組みを定着させ、現地の人だけできちんと予防検診を続けていけるところまでサポートが必要だと考えていた。
「日本のドクターの指導に一生懸命聞き入り、ブラジルの医療をもっと良くしたいという一心で励むブラジルのドクター達の姿を見て、このままで終わらせてはだめだと感じました。日本の予防検診の技術やノウハウを導入して現地のドクターをもっと支援し、予防医療を現地に定着させたい。そうすることでブラジルの医療底上げに貢献して、予防で救える人をもっと増やしたいと思ったんです」
経産省から新たなプロジェクトの募集があることを知った彼は、前プロジェクトの意志を引き継いだ新たなプロジェクトを今度は自分で企画した。日本の予防検診をブラジルへ紹介するだけでなく、将来にわたって彼らだけで予防検診を運用してもらう仕組みを導入することを最終目的としたプロジェクトだ。
彼は、前プロジェクトで協力してもらったブラジル市内の病院に最新設備が揃った「がん検診センター」を設立することを企画した。予防医療をリードし、その必要性を発信する拠点をブラジル市内に構えることで、予防文化を現地に定着させ、ブラジル全体の医療の底上げに繋げる大きな一歩になると考えたのだ。
その企画が経産省にも認められ、彼は現地のドクターや協力企業を取りまとめる本プロジェクトのリーダーとなった。前回のプロジェクトのように一参加者ではなく、今回は関係者をまとめ上げ、全体の進行を取り仕切る立場だ。国内外の病院関係者や協力企業など、前プロジェクト以上に関係者は社内外多岐にわたり、さまざまな組織との連携が今回のプロジェクト成功の鍵を握っていた。
経済産業省による国の1年間のプロジェクト。社内だけで決められることは少なく、さまざまな制約があってただでさえ前へ進めるのが困難な上、進捗の遅れは決して許されず、見える形で確実な成果も出さなければならない。リーダーとしてのプレッシャーが彼に重くのしかかった。
スタートは比較的スムーズだった。前身となったプロジェクトの影響も大きく、ブラジル現地病院のドクターたちは彼が提案した新たなプロジェクトに理解を示し、「市民の健康のためになるのなら」「協力するよ、ぜひやってみよう」と前向きに賛同してくれた。
しかし、彼を待ち受けていた最大の困難は、国内外多岐にわたるさまざまな組織に属する人間を、ひとつのチームとしてまとめ上げ実行していくことだった。参加メンバーは皆、それぞれの組織の通常業務と並行して、このプロジェクトに参加している。チームで情報共有し一気にアクションを進めなければならない場面でも、忙しい現業の合間を縫って参加している彼らのプロジェクトに対する優先度を上げることは常に難しい課題だった。
またブラジル現地のメンバーは、そのおおらかな国民性ゆえ、日本のように「依頼にはすぐ対応」「時間どおりに行動」といった意識がもともと薄い。メールを送ってもなかなか返信はこず、進捗の遅れを指摘すれば「大丈夫、なんとかなる」と前向きだが確証のないブラジルらしい回答が返ってくる。依頼にはすぐこたえ、一つひとつをきっちりこなすことが当たり前の日本的な仕事の進め方を彼らに期待するには、仕事に対する姿勢そのものが異なりすぎていた。
メンバーを巻き込みプロジェクトを遅延なく確実に前に進めていくため、彼はメンバーと徹底してかつ丁寧にコミュニケーションを取り続けた。ただ指示をするだけでは人は動いてくれない。それぞれの立場の意見に耳を傾け、常に状況を確認してベクトルを合わせ、合意を取りながら一つずつ現実的なアクションに落としこんでいく。メンバーに期待するのは、単に個々のタスクを消化することでもなく、締め切りを守ることでもなく、「ブラジルの予防医療レベルの底上げ」 という共通の目的を達成することだ。そのことを何度も何度も伝え、ゴールへ近づくために今自分たちは何をすべきかを徹底的に話し合った。電話で、メールで、そして時間の許す限りブラジルにも度々足を運んで。日本サイドは定期的な進捗会議を基本に、多忙なメンバーの状況を考慮し、随時進捗報告を怠らず実施することでプロジェクトへの関心を維持するよう努めた。ブラジルには、互いに第二言語である英語を介したメールでの一方的なやりとりではなくできるだけ相手の顔を見てコミュニケーションを取ることが、ブラジルの国民性からも熱意を伝えかつ誤解を避けるために一番大事だと痛感した彼は、1年のプロジェクトの期間中に計7回もの出張を行い、文字どおり物理的な距離というハードルを乗り越えながら、リーダーとして地球の裏側にいるメンバーの信頼を獲得していった。いつまでに、なんのために、自分たちは何をするべきなのか。彼の粘り強く熱心な働き掛けで少しずつ、メンバーそれぞれが自主的に考え、プロジェクトに積極的にコミットする姿勢に変わってきた。その様子を見て、彼はプロジェクトの成功への確信を強めていった。
1年の実施期間を経て、プロジェクトは終了した。対象となったブラジル市内の病院に「がん検診センター」が設立され、現地ドクターへのトレーニングで日本からブラジルへ検診ノウハウが引き継がれた。当面の目標は前身のプロジェクトの約6倍、3万人のブラジル市民に実際にがん検診を実施していくことだ。この活動を通してブラジルでの富士フイルムを中心とした日本の医療器材の認知を高めることもできた。
彼が心底嬉しかったのは、予防医療に対する現地の人の姿勢が明らかに変わったことだ。「これは本当に必要なことだ」と口で言ってくれるだけではなく、彼がプロジェクトを終了しブラジルの病院を離れた後も、彼らは自主的に後継となる検診プロジェクトを立ち上げて、今も継続してくれているのだ。彼の熱い想いが現地のドクターに引き継がれ、ブラジルの医療底上げという願いが大きく前進した瞬間だった。
ブラジルでのプロジェクト解散後、富士フイルムの通常業務へ復帰した彼は、現在中南米の医療機器・内視鏡製品の責任者として現地の駐在員として赴任し、日々ドクターの元へ通い、予防検診の機器や技術を中南米の国々へ広げていくべく奮闘している。
「世界中を見ればやはり、検診に行こう、病気を予防しよう、ということの大切さをすぐに理解してもらおうとするのは難しいとまだまだ実感します。病院によっては予防どころか、今まさにケガや病気で苦しんでいる人を救う技術すらままならないところだってある。そこへいきなり予防医療を積極的に勧めるのがいいのかどうか、わからなくなるときだってあります。でも予防のために検診を受けていたなら、救える人は必ず増える。 予防文化を広めていくことで、世界の医療水準を高め、人々の生活をよりよいものに変えていける。ブラジルでのプロジェクトでメンバーや現地ドクター達と奮闘し、自分自身が現地に役立てたという実感を心底持てたからこそ、自分にはその経験を活かしてその意義をもっと世界に広めていく使命があるんだと、強く思います。そしてそれを叶えてくれる土壌が富士フイルムにはあります。これからもさまざまな困難が待ち受けていると思いますが、ひるまずに奮闘していきたい」
彼の中南米を飛び回るバイタリティは、予防医療で一人でも多くの人を救える世の中にしたいという、その熱い想いに支えられている。