医療分野に携わる彼が担当するのは、中東やアフリカの新興国の市場開拓だ。カタールやイランといった新興国では近年、食生活や生活習慣の変化に伴ってガンや肥満、心筋梗塞などの病気が増えている一方、その変化に医療の整備が追いついていないという。
「中東ではガンが増え続けていますが、病院は病気になったら行くところで、検診を受けて未然に防ぐという概念がなかった。そこに施設やITインフラを含めた検診プログラムをまるごと提供して、現地の医療レベと提供して、現地の医療レベル向上を図ろうという試みです。新興国の医療分野に参入する海外企業は多いですが、“医療機器を売って終わり”というところがほとんどで、それに疑問を抱いていました。現地の医師や技師のレベル向上を図り、プログラム全体を提供することで、その国の医療レベルアップを図る取り組みを実施し、富士フイルムが各国の将来を考えた真のパートナーであると認められることを目指しています」
「27歳のとき、部長から突如『ドバイへ行って来い』という指令を受けました。私の入社時のTOEICは250点。行くには行くけど、無理だったらすぐ日本へ戻してもらおう…そんな思いで単身ドバイへ渡りました。案の定、初日はホテルのチェックインにも手間取るというスタート。英語も話せない27歳の若造をいきなりドバイ医療事業の総責任者に任命するなんて、富士フイルムも思い切ったことをしますよね(笑)。商談に行っても言いたいことが伝わらない。相手にしてみたら『何しに来たんだ」ですよね。最初はもどかしかったですが、半年ほどで相手が言っていることが分かるようになりました。言語の問題よりはるかに大変だったのは、異文化の壁でした」
たった一人で始まったドバイでの挑戦。文化も宗教も異なる環境での仕事は、想像以上に困難を伴うものだった。
「例えば新興国では物事が予定どおり進まないのが当たり前。宗教の問題もあって、アラブのジェンダー観では検診時に男女を厳密に分ける必要がありますが、そういったことを踏まえず提案すると一気に信用を落としてしまいます。アラブのビジネスマンが最もピリピリしているラマダン(断食月)中に商談を持ちかけ、大喧嘩になってしまったこともありました。病院を訪ねては現状を知り、さまざまな現地の状況を考慮した新興国向け商品を開発したところ、それはすごく売れました。そういったことを積み重ね、少しずつ信頼を獲得していきました」
一方で彼はドバイ支社の総責任者としてスタッフの現地採用も進めた。医療スキルの高い現地スタッフの確保に奔走した結果、集まった人材は多国籍チームとなった。
「お国柄がバラバラなので、どこに地雷が潜んでいるかわからない。インド人とドイツ人のスタッフが国民性の違いで揉めたり……そんなことが日常茶飯事でした。しかしプログラム成功のためには、彼らの能力を最大限引き出しチーム一体となってゴールを目指すことが不可欠。意見が対立することもありましたが、臆せず意見をぶつけ合い、各人が専門分野のプロとして本気で議論を繰り返したことで、互いを尊敬し必要とし合う、真の仲間に成長していけたんだと思います」
異文化という壁を彼が乗り越えられたポイントは何だったのか。
「ドバイ配属になった理由を当時の部長に聞くと、『お前には英語より大事な、初対面でも誰とでも仲良くなれる“絶対的な友達感覚”がある」と言われました。事前に自ら学んでいくことも大切ですが、知ったかぶりせず、いろんな人と飲んで騒いで本音で語り合うことで、わかることはたくさんある。まずは自分が勇気を出して懐に飛び込んでいくことが大事です。ドバイのチームは最終的に40人規模まで拡大しましたが離職者は一人もおらず、『お前がいる限りやめない」と言ってくれたスタッフの言葉が心に残っています』
今後はガン検診だけでなく、更なる広がりを作っていきたいという彼。ガンより死亡件数の高い脳卒中や糖尿病、心筋梗塞など、対策が遅れている新興国の医療レベルのさらなる底上げを目指している。
「最初は英語もろくにしゃべれなかったのに、意外となんとかなるもんです(笑)。これからもメンバーと心が震えるような成功を収め、感動できる仕事をしたいです」