新しい薬が生まれるまでの気の遠くなるようなプロセス
彼女が携わるのは、“創薬”と呼ばれる仕事だ。簡単に言えば「新しい薬を作る」ということになるが、そこには薬のアイデアを考え、化学物質を合成し、効能を選別し、臨床試験を繰り返す……という膨大なプロセスが存在するという。
「ここには10年〜20年という気の遠くなるような時間がかかります。さらにその成功確率も極めて低い。創薬は時間と根気を要する、とても難しい仕事です」
幼稚園では色水を混ぜ合わせて遊び、小学校ではキュリー夫人や野口英世の伝記を熟読。生粋の科学好きだった彼女は、しだいにサイエンスの仕事に興味を抱き始める。
「大学の進学説明会で『農学は人の役に立つ実学である』という言葉を聞き、農学部への進学を決意。研究は生活に直結する仕事じゃないけど、豊かな社会づくりには科学のボトムアップが必要です。進むべき道が見えた瞬間でしたね」
“3万分の1”の世界で、「絶対」なんて絶対に言えない
創薬の成功確率は「3万分の1」程度と言われている。つまり、3万もの化合物があっても、そのうち薬になるのは1つというわけだ。
「私は入社6年目で、ガンやアルツハイマーといった分野に関わっていますが、まだまだ道半ばです。例えば今、従来の抗ガン剤とは異なるアプローチの薬を開発していますが、新しい取り組みには『本当にできるの?』という疑念がついてまわります。既製品の改良なら比較して良し悪しを語れますが、新薬には基準も比較対象もありません。そういった中で、進めている方向性が正しいことを一つひとつどのように証明し、次のステップへと進めていくか。ここが創薬の最も難しいところだと感じています」
社内プロジェクトのリーダーとしては「絶対できる」と断言しなければいけない一方、科学者としては3万分の1という確率に対して「絶対」という言葉は口が裂けても言えない──。このジレンマが、彼女にとって常に悩みの種だという。
「正しい道を進んでいる」そう思えないならやめるべき
「大学院時代、微生物学の研究に携わっていました。『石油の分解酵母が石油に反応するメカニズムを解明する』というマニアックな研究でしたが、試行錯誤を繰り返し、6年かけて仮説を証明。実験を成功させた瞬間は、無上の喜びを感じました」
ジレンマと格闘しながら新薬の開発に取り組む中で、このときの経験が役立っていると彼女は語る。
「サイエンスというのは、結果的にうまく行ったとしても、そのプロセスは基本的に失敗の連続です。そんな中で研究を続けていくためには、『自分は正しい道を進んでいるんだ』という信念が必要です。それがあるからこそ努力し続けられるわけで、もしも進んでいる道に疑いが生じたら、間違っていることを明らかにしてやめるべきでしょう。企業では時間やコストの制約がシビアなので、その中で薬作りをしていくためにはやめる判断を下すことも重要な仕事です。今まで積み重ねてきたものを捨て去るのは勇気が要る判断ですが、その判断の積み重ねがきっと目指すべきゴールに繋がっている。そう信じて日々歩み続けています」
開発職に転身したきっかけは、あるガンサバイバーの言葉
彼女には、創薬の道に進むきっかけとなった一つの出会いがある。
「アメリカで研究者の修業をしていたころ、私はある製薬会社のパーティで女性ガンサバイバーの講演を聴きました。彼女は乳ガンを患い、余命半年と宣告された過去があった。しかし、その会社が作った薬によって奇跡的に病を乗り越え、今なお元気に生きている。サイエンスが直接的に人の命を救ったその光景に強い感動を覚え、進むべきキャリアの変更を決断しました」
アカデミアで研究を続けていくつもりだった彼女は、より直接的に科学を社会の役に立てられる企業での開発職に転身し、今に至る。
「どの薬も完成するまでには幾つものドラマがあり、逆風が吹くときも多々ありますが、やり続ける価値があるモノだけが薬になっていく。いつか私の作った薬で病気が治ったという人に出会える日を夢見て、創薬に取り組んで行きたいと思います」