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超音波診断コラム~装置原理から臨床・活用法~
カラードプラ法における血流の色付けについて
超音波画像診断装置の発展と共に歩んできた超音波工学フェローの山崎が、超音波に関連する、技術、臨床から雑学、うんちくに至るまで、さまざまな話題を提供します。
今回はカラードプラ法における血流の色付けについてです。
私は、東京都八王子市の自宅から東京都港区にある会社に通勤するのにJR中央線を使っています。そのJR中央線の快速電車の車両カラーは「オレンジ」です。近年の鉄道車両はステンレスカーが主流となって、中央線の車両もいまでは銀色に輝く車両の側面にオレンジ色のラインが引かれているだけになりましたが、かつての車両(201系)は全体が鮮やかなオレンジ色に塗装されていました。JR山手線のウグイス色、JR中央・総武線各駅停車の黄色と併せて、このオレンジ色は首都圏が生活圏という人にはなじみ深い色でしょう。
では、JR中央線快速電車はなぜオレンジ色なのでしょうか?
1950年代、日本は戦後の復興を成し遂げ、高度経済成長期に突入。都心部への通勤者も増加し続け、通勤ラッシュ時の車内の混雑は限界に達していました。そこで国鉄(当時)は、中央線をはじめとする通勤輸送を改善すべく、時代に沿った高性能な電車の開発に着手。その結果誕生した「モハ90系(のちの101系)」車両は、1957年、中央線の急行列車としてデビューしました。
その当時の電車はどれも茶色やブドウ色といった地味な色ばかりでした。中央線の急行列車はこれまでにない目立つ色にするという大前提がありました。それは、乗客の誤乗を防ぐためでもありました。そこで採用されたのが鮮やかなオレンジ色です。なぜ、オレンジ色だったのでしょうか?
それは、当時の開発担当技術者の妻がオレンジ色のセーターを好んで着用していたから。
(参考:『JR中央線の謎学』ロムインターナショナル著、河出書房新社)
さて、カラードプラ法では、生体内の血液の流れが赤系と青系に色分けされて表示されます。赤は動脈血流、青は静脈血流を示している、と思っている人がいたら、それは間違いです。
カラードプラ法では、超音波プローブに近づく(向かってくる)方向の流れを赤系、プローブから遠ざかる(離れていく)方向の流れを青系で表示します。
以下の画像は1本の蛇行した血管をとらえたものです。血液はこの血管の中を向かって右から左の方向へ流れています。超音波プローブは画像の上端(体表面)に置かれています。血流の方向とプローブが置かれている位置との関係を追いながら、なぜ赤と青の表示が入り混じっているのかを確認してみてください。一部、折り返し現象(エイリアシング)によって、赤と青が反転して表示されているところがありますので、注意してください。
カラードプラ法の色分けは、誰がいつ決めたのか
ところで、カラードプラ法で血流の方向を赤と青で表示すると、誰がいつどのようにして決めたのでしょうか?カラードプラ法の生みの親の一人、埼玉医科大学心臓外科教授・尾本良三先生(所属は当時、物故者)が書かれたエッセイを紹介します。
「カラードプラ」の定義を「リアルタイム二次元血流イメージング」とすると、アロカ研究グループの滑川孝六、小谷野明、河西千広らが、1982年7月30日に英国ブライトンのWFUMB(世界超音波医学会)で行った報告が、文字通り世界初のカラードプラの報告ということができる。ブライトンにおける発表は、糸車ファントムのカラー映像化に留まったが、たいへんエキサイティングなものでフロアーの多くの人々に新しい時代の到来を告げるものであった。
ブライトンでの発表の後、直ちに臨床例の検討に着手し、1982年9月30日には、文字通り世界で初めて、心臓病の患者さんの病的血流、大動脈弁逆流Ⅳ度のカラードプラを明瞭にVTR記録した。当時のカラードプラの装置は、大げさにいえば“4畳半いっぱいのバラックセットで移動不可能”で、埼玉医大から大学の救急車で三鷹のアロカ研究所まで心臓病の患者さんを運んで、臨床データを蓄積した。
カラードプラの血流のカラーフォーマットをどう決めようかという滑川氏の質問に対して、尾本は「議論の予地はない」、「近づいてくるというのはパッションで、“情熱”を意味する」、「情熱は赤だ!」、「遠ざかるもの、離れていくのだから寂しくブルーだ!」と、まるでマンガ的に滑川、尾本が一発で決めて、ずっとそれで通してきた。ちょっと無責任なやり取りだが、本当の話である。ちなみに、“ドプラ効果”のドプラ先生はもともと天文学者で「近づいてくる星の光はブルー側に変調し、遠ざかる星の光は赤側に変調する」というのがドプラ効果の発見のもとになっている。アロカ社がSSD-880 型を世界に先駆けて販売した段階で、国際シンポジュームや講演会で、この点をしばしば指摘された。「カラー・コーディングを反対の色にするべきだ」という相当強いアピールがあったが、我々は断固それを撥ねつけ、「最初のフォーマットは日本発のアロカSSD-880型で決まったものであって、これにはプライオリティがある。あなた方(他社)がもし反対ならシステムに切り替えスイッチを付けて、好きなカラーフォーマットにしたらよい」という返答をした。その後、実際に外国の数社では切り替えスイッチを付けたが、ユーザーは使用せず、実際上は何の問題も発生せず、今日に至っている。
(吉川義博、尾本良三:第30回日本超音波検査学会講演会「世界初!!カラードプラ開発よもやま話」(2005年5月28日)より引用)
ドプラ効果とは
ドプラ効果(またはドプラシフト)とは、波(音波や電磁波など)の発生源と観測者との相対的な速度の存在によって、波の周波数が変化して観測される現象をいいます。発生源が近づく場合には、波の振動が詰められて周波数が高くなり、逆に遠ざかる場合は振動が伸ばされて低くなる。救急車のサイレンの音がよく例えに使われます。救急車が近づくときにはサイレンの音程が高く聞こえ、遠ざかるときには低く聞こえる。音についてのこの現象は、古くから知られていましたが、オーストリアの物理学者、クリスチャン・ドプラ(ドップラー)が速度と周波数の間の数学的な関係式を1842年に見出し、オランダ人の化学者・気象学者、クリストフ・ボイス・バロットが、1845年にオランダのユトレヒトで列車に楽団を乗せて、決められた高さの音を演奏させる実験をしました。線路に沿った所で絶対音感を持った音楽家が聞いて音程が変化することからドプラ効果を証明しました。
音源の周波数をf0、音速(音が伝搬する速度)をc、音源が移動する速度をvとして、音源が観測者に近づいてくるときに聞く音の周波数をf1、音源が観測者から遠ざかっていくときに聞く音の周波数をf2とすると、f1、f2はそれぞれ次式で表されます。これがドプラ効果です。
オランダ人の化学者・気象学者、バロットの実験の考察
バロットの実験を私なりに想像してみました。
列車の上で楽団に演奏させた音を“ラ音”と仮定します。ラ音は、オーケストラが演奏を始める前に音合わせに使用され、その周波数f0は440 Hzです。空気の音速cは340m/sです。列車の速度vは20m/s (時速72km)であったと仮定します(当時の機関車はこんなスピードで走れなかったかもですが)。
この条件でドプラ効果を計算すると、音源が近づいてくるときに聞こえる音f1は、467.5 Hz。これは“ラ♯”(ラ音より半音高い音)の466.164 Hzに近い。一方、音源が遠ざかっていくときに聞こえる音f2は、415.6 Hzになります。これは“ソ♯”(ラ音より半音低い音)の 415.305 Hzとほぼ同じ。このように、バロットの実験に参加した音楽家は、楽団が列車の上で演奏する“ラ音”を、線路沿いで聞いていて“ラ♯”や“ソ♯”に変化することを体験したのだろうと想像できます。
カラードプラ製品化時の論争
光でもドプラ効果が観測され、観測者に近づいてくる光源からの光は波長が短くなって(周波数が上がって)青っぽく見え(青方偏移)、観測者から遠ざかる光源からの光は波長が伸びて(周波数が下がって)赤っぽく見えます(赤方偏移)。アロカが1983年に世界初のリアルタイム超音波血流映像装置循環器用カラードプラ(SSD-880)を製品化したとき、国際学会を中心に血流の色付け方法(カラーフォーマット)についての議論がしばらく続きました。音源である血流が観測者である超音波プローブに近づいてくるのは情熱的だから赤、遠ざかっていくのは寂しいから青、と決めた色付け法は、光のドプラ効果による青方偏移、赤方偏移とは真逆じゃないか、という論争でした。
クリスチャン・ドプラ先生が生まれた家は、オーストリアのザルツブルクにあります。ザルツブルクといえばモーツァルトが生まれた街として有名ですが、彼が17歳のときに生家から移り住んだ住居が、いまは博物館になっています。そのモーツァルトの住居(博物館)と狭い通りを挟んだ向かい側にドプラ先生が生まれた家があります。組織ドプラ法を開発した私にとって、ドプラ先生の生家を訪れたことは、「聖地巡礼」だったといえます。
JR中央線の車両のオレンジ、カラードプラの赤と青、どちらも私たちは当たり前のものとして受け入れていますが、それぞれの色を決めた背景には、意外な逸話があったのです。
山崎 延夫
主な経歴:
1982年、大学卒業と同時に医療機器メーカーに就職し超音波画像診断装置の研究開発に従事。
1992年、国立循環器病センターの宮武邦夫先生、山岸正和先生、上松正朗先生(いずれも当時)らと、「組織ドプラ法(Tissue Doppler Imaging, TDI)」を開発し、日本超音波医学会から超音波工学フェロー(EJSUM)の認定を受ける。
2013年、富士フイルム株式会社に入社し現在に至る。
駒澤大学医療健康科学部非常勤講師。
著書に「日本発 & 世界初 エコーで心臓を定量することに魅せられた人々」