化学者のつぶやき
糖化学ノックイン領域が目指す応用の一つに薬物送達系(ドラッグデリバリーシステム)があります。ひと言でいっても多彩なメカニズムがあり、送達先や用途も様々なのですが、現代では分子化学の力をもって送達分解能を高める研究が盛んに成されています。
今回はホットトピックの一つである「細胞小器官(オルガネラ)選択的な薬物送達法」について取り上げます。
“Guiding Drugs to Target‐ Harboring Organelles: Stretching Drug‐ Delivery to a Higher Level of Resolution”
Sivan, L.‐Z. S.; Jaber, Q. Z.; Fridman, M. Angew. Chem. Int. Ed. 2019, 58, 15584. doi: 10.1002/anie.201906284
【概要】 薬剤を標的の組織や細胞,病原体などに送達することで,毒性を低減し,治療効果を高めることができる.その送達の分解能をさらに高め, 特定のオルガネラに対して選択的に薬物を送達することで,より高い効果が得られる.ここでは, 化学修飾による低分子の細胞内分布の制御に焦点を当てる.
1960から1980年頃までは,顕微鏡による形態変化の観察,オルガネラの特徴的な活性(ミトコンドリアの場合は膜電位,リソソームの場合はpH勾配の変化など)などを薬物の集積を裏付ける証拠としていたが,これは薬物の蓄積を証明するものではない.細胞破砕後に特定のオルガネラに富む画分を分離し,そこに含まれる化合物を定量する方法も古くから利用さ れているが,その分離過程での薬物の漏洩などが原因で,再現性を得づらい.現在, 最も一般的に利用されている方法は,蛍光イメージングである. 比較的簡単で信頼性が高く,生細胞を用いてリアルタイムで解析できる.一方で,非蛍光分子の細胞内分布を調べるためには,目的の分子に蛍光基を導入する必要があり,この蛍光基が化合物の動態に変化を及ぼす可能性がある. 近年では,MSイメージングが利用されるようになりつつある.ただし,現状では分解能に問題がある. MS イメージングの分解能は1-3 μm程度であるので,10-100 μmの哺乳類細胞をマッピングすることはできるが,オルガネラ(1-10 μm),細菌(0.5-3 μm),酵母(4-8 μm)における分子の分布をマッピングすることは難しい. 一方, Nolanらのグループは約30 nmの分解能での解析を可能とする超解像イオンビームイメージングを開発し,シスプラチンの細胞内局在を観測した.この手法は,非蛍光分子の細胞内分布をマッピングする中心的な方法になると期待される.
膜タンパク質を標的とする薬剤を原形質膜にアンカリングすることで,その効果を高めたり、標的をスイッチングしたりすることができる.具体的には脂質を導入することで,薬剤の標的がリボソームから細胞膜にスイッチングされる.
多くのシグナル伝達の場となる脂質ラフトはコレステロールの濃度が高い.そこで,コレステロールやステロール誘導体と複合化することで,薬物を脂質ラフトへ送達できる.コレステロールとフルオレセインをPEGで連結した化合物(compound A)は原形質膜にアンカリングされる. HIV の宿主への侵入はラフトで起こる.その過程を阻害するC34ペプチドにコレステロールを複合化することで,抗HIV活性が2桁も改善された.アルツハイマー病の原因物質とされるβ-アミロイドの産生に関わるγ-secretaseの阻害剤にコレステロールを結合させることで,その活性が向上した.
コレステロールと同様に,脂肪酸も膜へのアンカーとして機能する.アミノ糖は細菌のリボソームを標的とし,翻訳過程に影響を与えて抗菌活性を示すが,アミノ糖に脂質を導入することで,両親媒性物質となり,膜を標的とした抗菌薬となる.脂質を導入したアミノ糖(compound B, C)は細胞膜と相互作用し,速やかに細胞質に集まり,オルガネラの分解を引き起こすことが示されている.
核へのアクセスは核膜に制御される.核への送達には,ウイルスが自身のDNAを宿主の核に送り届けるのに利用するオリゴペプチド(核局在配列, NLS)を利用できる.NLSはリジン,アルギニン,プロリンに富んだ主には塩基性のペプチドで,これに結合した分子は核膜孔を通過し, 核内に移行する.毒性や安定性の問題を解決するために,多くのNLS誘導体が報告されている.なかでも,グアニジンを導入したペプトイドは細胞生存率にほとんど影響を及ぼさず,蛍光色素をサイトゾルまたは核へ送達できる.
アントラサイクリンの多くは抗腫瘍活性を持つ.アントラサイクリン系化合物はわずかな構造の変化で局在が変わる.例えば,idarubicinはリソソームに集積するのに対し,doxorubicinは核に局在した.アントラサイクリン系の化合物はDNAを標的にすると考えられているが,この結果は,リソソームに未同定の標的があることを示唆する結果である.
ミトコンドリアは呼吸器系を担っており,いくつかの抗がん剤の標的である.いくつかの悪性腫瘍では,ミトコンドリアの膜電位が正常細胞よりも高いことから,がん細胞のミトコンドリアを標的とした治療は有望である.
Mitochondria-penetrating peptides (MPPs)の他 , 脂溶性の非局在カチオン性分子(triphenylphosphonium:TPP,rhodamine,(E)‐4‐(2‐(indol-3‐yl)vinyl)‐1‐methylpyridinium salt: F16 など) はミトコンドリアに局在する.TPPを薬剤に連結することで,ミトコンドリアを標的とした薬剤にスイッチングすることができる.シスプラチンにTPPをリガンドとして連結したプロドラッグ体は, 神経芽腫細胞に対して,シスプラチンの17倍高い細胞毒性を示した.これはシスプラチンがミトコンドリア内の DNA 損傷を引き起こし,ミトコンドリアの過分極を誘導した結果である.アントラサイクリン系薬剤であるdoxorubicinにTPPを連結させた化合物は, ミトコンドリアの電子伝達系の機能を阻害およびミトコンドリア DNA の損傷を引き起こし,細胞毒性を示した.geldanamycinのTPP複合化体は治療効果の改善につながった.geldanamycinはミトコンドリアの分子シャペロンであるヒートショックプロテイン90(Hsp90)の阻害剤として作用するが,細胞質のヒートショックプロテインにも作用する.TPP との連結により,geldanamycinのHsp90選択性が向上した.ミトコンドリアへの選択的送達は,新規薬剤の開発につながることに加え,薬物の細胞外への流出を克服するための一般的な戦略ともなり得る.
【次回記事②に続く】
【本シリーズ記事は、糖化学ノックイン領域において実施している領域内総説抄録会の過去資料をブログ記事に転記し、一般向けに公開しているものです】