化学者のつぶやき
ちょっと古い論文ですが、インパクトのある面白い論文だったので紹介します。安価な調味料から有用な有機化合物をエスプレッソマシンを使って抽出したという話です。
“New Method for the Rapid Extraction of Natural Products: Efficient Isolation of Shikimic Acid from Star Anise”
Jeremy Just, Bianca J. Deans, Wesley J. Olivier, Brett Paull, Alex C. Bissember, and Jason A. Smith. Org. Lett. 2015, 17, 2428−2430. DOI: 10.1021/acs.orglett.5b00936
今回話題になっているのはシキミ酸という化合物です。シキミ酸?知らない子ですね...という方もいらっしゃるかもしれませんが、植物内ではフェニルアラニン、チロシン、トリプトファンがシキミ酸から生成されるといえばその重要性がお分かりいただけるかと思います。また、ロシュ社は抗インフルエンザウィルス剤として有名なタミフルをシキミ酸から誘導することで合成しています。構造を見比べるとシキミ酸の持つ官能基と光学活性点をフルに生かしていることがわかります。
シキミ酸の構造については連続したヒドロキシ基が3つ、カルボキシル基、不飽和結合と官能基に富んでいる上に、3つの不斉炭素がコンパクトな空間に密集しており、光学活性化合物合成の出発物質として利用価値のある非常にありがたい分子です。
そんな素敵分子なシキミ酸ですが、つい最近まで大量かつ医薬品の原料として使える純度のものを生産する方法は確立されていませんでした。前述したようにタミフルはシキミ酸を原料としています、鳥インフルエンザの脅威が迫る中、シキミ酸の大量生産方法確立は最重要案件の一つでした。
2009年にやっとコーヒー粕麹法という手法が確立されます。これはコーヒー粕(コーヒーの搾りかす)を発酵させ、得られたクロロゲン酸を加水分解することでキナ酸へと誘導し、シキミ酸を得るというものです。
前置きが長くなってしまいました。今回の論文ではもっと容易に、安価にシキミ酸を単離するという話でした。筆者たちは抽出源として八角(別名:トウシキミ、原文:Star Anise)という香料を用いています。中華料理屋で見た!(^ν^)という方も多いかもしれません。
早速、抽出をいかに行っているか見てみましょう。SIから実験の手順を追ってみると
乾燥させた八角(20g)をコーヒー豆挽きで細く挽き、2gの砂と混ぜる。混合物をエスプレッソマシンのホルダーに入れ、熱した30% EtOH/H2O 200mlで抽出する。(原文訳)
コーヒー豆の操作をそのまま八角に置き換えたという感じですね。
そして殺伐としたSIに...
_人人人人人人人人人人人人_
>突然のエスプレッソマシン <
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うわぁ...本当にエスプレッソマシン使ってるよ....でもここまでで使っているのはほとんど台所でそろうものばかり。砂だけ綺麗なものを使えばこのエスプレッソマシンも使い続けられる(?)ちなみに筆者らによればエスプレッソマシンでの加熱、加圧条件が抽出成功のキモらしいです。
実はこの段階では不純物としてアネトールとp-アニスアルデヒドが混入しているそうです(あれ?2分で終わらない...?)。そこでこの後の操作として、抽出液にシリカを入れてエバポで溶媒を飛ばしています。乾燥したらシリカへの吸着能の違いを利用して不純物を洗い落とし、さらに高極性の溶媒でシリカを本洗いし、ろ液を濃縮すればシキミ酸が2.21g(5.50% w/w)で取れてきます。たしかに従来の酵母を使用する方法と比べると、エスプレッソマシン並みの熱と圧力に耐えうるだけの抽出装置を作れれば、素直で環境負荷も小さそうな手法です。
また、筆者らはエスプレッソマシンからの抽出液からダイレクトに官能基保護されたシキミ酸を得ることも試みており、以下のような化合物を得ています(ただしカラムでの生成が必要)。
紙面では述べられていませんが、この保護体、光延反応を経れば隣り合った3つのヒドロキシ基が全て同じ方向を向いている、合成化学上利用価値の高い珍しい化合物を与えます。
さて最後にですがこの方法、本当に経済的なのか。シキミ酸の値段を調べてみました。
(2015年 ケムステ調べ)
TCI: ¥14,700/g
Aldrich: ¥22,100/g
八角:¥33/g
圧倒的に安い!!!ということなので、もしシキミ酸を合成で使いたいけど高いからボスに作れと言われた、なんてときは八角を買って抽出したほうが楽で安いかもしれませんよ。