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FUJIFILM Finechemical News
研究者へのインタビュー
新アルゴリズムで量子化学的逆合成解析の限界突破!~未知反応をコンピュータで系統探索する新技術~

今回のインタビューは、北海道大学大学院理学研究院(理論化学研究室)に当時所属されていた住谷 陽輔 先生にお願いしました。住谷先生は現在、九州大学先導物質化学研究所(吉澤研究室)に所属されています。

量子化学的逆合成とは、対象とする化学反応に関する知識やデータを一切用いずに反応設計可能な手法であり、2013年に前田教授らによって報告されています。以前の報告では、膨大な分子構造空間のために実際に探索するためには非常に厳しい制約がありました。今回ご紹介するのは、組合せ爆発の問題を大幅に軽減することに成功したという成果です。実在する化学反応の生成物を入力した実証計算において、対応する反応物が正しく言い当てられるとともに、他の反応候補物の存在も予測した本成果は、JACS Au誌 原著論文とプレスリリースに公開されています。

Quantum Chemical Calculations to Trace Back Reaction Paths for the Prediction of Reactants

Sumiya, Y.; Harabuchi, Y.; Nagata, Y.; Maeda, JACS Au20222, 1181–1188. doi: 10.1021/jacsau.2c00157

研究室を主宰されている前田 理 教授から住谷先生について、以下のコメントを頂いております。それでは今回もインタビューをお楽しみください!

住谷君は、私が北大に助教として赴任した2012年に、当時所属していた量子化学研究室(主宰:武次徹也教授)に配属された学生です。私の教員としての指導学生第一号とも言えます。配属当初、数学がやりたい、と言われ、反応経路自動探索と速度論を組み合わせる課題を与えました。速度論と聞くと古典的と思われがちですが、反応経路ネットワークを対象としたことで、数値的な取り扱いがたいへん難しい連立微分方程式を扱う、数理解析分野においても未解決の難題に直面しました。住谷君は、情報系の研究者の助言も得ながら、グラフ理論のファジークラスタリングと速度論とを融合することで、その難題を解決しました。その後、反応経路自動探索と組み合わせることにも成功し、順方向ナビゲーションに加えて、今回の逆方向ナビゲーションの構築まで達成してくれました。本人は元来数学好きで、化学への興味が薄い面もあったのですが、上記手法の有機合成反応への応用、理研・杉田グループでの生化学研究への参画、九大・吉澤グループでの材料研究への従事などを経て、理論化学者としてだいぶ頼もしくなってきたと感じています。今後、理論と応用の両輪で活躍してくれることを期待しています。

Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。

本研究では、量子化学計算に基づいて未知の多段階合成経路を探索する効率的アルゴリズムを開発しました。この方法によって、所望の生成物を高い収率で与える反応物候補を予測することができます(図1)。本アルゴリズムには、素反応過程を網羅探索する反応経路自動探索法の一つである人工力誘起反応(AFIR)法[Maeda, S.; Harabuchi, Y. WIREs Comput. Mol. Sci202111, e1538.]と、多数の反応経路からなるネットワークの速度解析を簡便に実行できる速度定数行列縮約(RCMC)法[Sumiya, Y.; Maeda, S. Chem. Lett202049, 553.]が用いられています。実在する化学反応の生成物を入力とした実証計算では、対応する反応物と合成経路を正しく言い当てることができました(図2)。また、反応物候補が他にも多数存在することを予測しました。我々は、このような生成物からの逆探索による化学反応予測の概念を「量子化学的逆合成解析」と呼んでいます。

逆合成解析はE. J. Corey教授が提唱したものであり、標的化合物を単純な前駆体へと切り分けていくことによって合成経路を決める反応設計法です。この功績によってCorey教授は1990年にノーベル化学賞を受賞しています。近年では、実験データベースを活用した機械学習によって逆合成解析を行う研究も盛んにおこなわれています。一方、量子化学的逆合成解析は、対象とする化学反応に関する知識やデータを用いず、コンピュータによってゼロから合成経路を予測する点が特色です。AFIR法の探索網羅性とRCMC法による速度解析の簡便性によって、生成物からの逆探索が可能になりました。この量子化学的逆合成解析は、未知の化学変換に対するアプローチとして有用なツールとなることが期待されます。

図1 量子化学的逆合成解析の概念図。一般的には反応物から生成物を探索しますが、量子化学的逆合成解析では生成物を入力して反応物候補を列挙します。

図2 (a)パッセリーニ反応の反応経路ネットワーク。反応経路ネットワークでは化合物は点、素過程は線で表現。点の色は対応する化合物が入力生成物を与える反応収率に対応。入力生成物を高収率で与える化合物は緑色から赤色の点で示され、その反応物候補の一部は図1に示されています。(b)パッセリーニ反応の反応機構。(a)で高収率と判定された構造の中に、反応機構に含まれているすべての構造が含まれています。すなわち5回の結合組み替えを経た多段階経路をさかのぼって反応物を正しく言い当てることができました。

Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。

非調和下方歪み追跡(ADDF)法やAFIR法などの網羅性の高い反応経路自動探索法を用いると、入力化学組成に対するすべての安定配座および反応経路が網羅探索されます。原理的には、目的生成物を出発点として探索を行えば、それを与える合成経路と反応物候補が得られます。量子化学的逆合成解析は当初(2013年)、このアイデアに基づいて提唱されました[Maeda, S.; Ohno, K.; Morokuma, K. Phys. Chem. Chem. Phys201315, 3683.]。しかしながら、原子数が増加すると、その原子配列の組み合わせで表される安定配座とそれらを繋ぐ反応経路の数は指数関数的に増加し、それらを探索する計算時間はどんどん長くなります。本研究テーマで工夫したところは、この組み合わせ爆発の問題への対処にあります。

探索空間が組み合わせ爆発で膨大になる問題の解決には、速度解析が鍵となりました。速度解析法の開発に筆者は、北大で研究室に所属した学部4年から取り組んでおり、これは指導教員だった前田先生から与えられたテーマです。速度解析で反応経路探索を制御しようという取り組みは、D1(2015年)の中頃から始めました。速度論に基づいて反応経路探索を誘導する方法を、「速度論ナビゲーション」と呼んでいます。これによって探索空間を絞り込み、組み合わせ爆発を大幅に緩和できました。

まず、入力反応物から生成物に至るまでの経路を効率探索する順方向ナビゲーションの開発から始め、今回の生成物から反応物への逆方向ナビゲーションができるように機能を拡充してきました。これらの開発に本腰を入れ始めたのが、2015年に東京で情報系の先生方とミーティングしたときからだったと記憶しています。興味深い発表に刺激され、帰りの道中で前田先生・原渕先生と反応経路探索プログラムの未来構想について意見をたくさん出し合いました。このときに私は「うまく逆合成解析ができないか」という意見を出したことを覚えています。時を経て、量子化学的逆合成解析の開発に実際に至ったことを嬉しく思います。

Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?

Q2では速度解析が鍵となったことを書きましたが、AFIR法で得られる反応経路ネットワークの速度解析は容易ではありません。反応経路ネットワークには数千・数万の反応過程が含まれ、その速度定数は15桁以上も異なることがあります。反応経路ネットワークの速度解析をするために開発した方法がRCMC法です。M1~D1の期間で行ったRCMC法の基礎理論の構築では[Sumiya, Y.; Nagahata, Y.; Komatsuzaki, T.; Taketsugu, T.; Maeda, S.; J. Phys. Chem. A 2015119, 11641.]、北大の小松崎民樹教授や永幡裕博士とのグラフ理論に関するディスカッションに大変助けられました。

RCMC法では遷移状態理論とグラフ理論が融合されています。基本となるアイデア(図3)はM1のときに思いつき、分子科学討論会で発表しました。アイデアが出る前に見切り発車で参加登録したため、学会直前は大変焦りましたが、その緊張感が研究を加速させてくれたのかもしれません。

図3 RCMC法の基本概念。(a) エネルギー極小点(安定構造に対応)を4つ含むモデルエネルギープロファイル。2から3へ向かう経路の活性化障壁が低いため、2の寿命が最も短くなります。(b) (a)のネットワークグラフ表現。(c) 2に対しRCMC法を適用して得られる縮約ネットワーク。得られた新しい状態のことを超状態(SS)と呼び、それぞれに状態2が混ざっています。この縮約操作を繰り返すことで、複雑な化学反応経路ネットワークを少数の超状態間の遷移として記述できます。

Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?

理論化学の研究者として、理論開発と応用研究の両輪をまわしていきたいと考えています。オリジナルの理論手法を開発すると、ついつい「私の手法を適用できる系を探そう」という発想で研究を進めたくなってしまうのですが、それに終始しないように気を付けようと思っています。現在私は、2021年7月に九州大学に着任してから、本研究テーマとまったく異なる「接着現象の理論化学」の研究に着手しています。やり始めてみると、大変興味深い現象であることに気が付きました。今まで開発してきた手法は直接的には適用できないので、「使える手法はなんでも使い、ないものは作る」という発想で取り組んでいます。今後も、理論開発と応用研究の両輪をバランスよくまわしながら、興味の湧いた面白い研究テーマに取り組んでいきたいです。

Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

最後までお読みいただきありがとうございました。今回紹介した量子化学的逆合成解析の長所は、未知の化学変換を予測できることや、反応物の入手性などの制約で実験的にはアクセス困難な化学変換も網羅できることなどが挙げられます。一方、量子化学計算などの誤差の影響、系に含まれる原子数を決め打たないといけないこと、計算コストによる原子数の制約など、克服すべき短所もあります。これらの長所と短所は、知識や実験データを用いる機械学習アプローチと相補的な関係にあります。本テーマのさらなる発展として、理論・実験・情報学が三位一体となった研究が北大で行われています。ご興味をお持ちの方は、ぜひ北海道大学の関連研究室へご連絡いただけますと幸いです。北大OBとして、北大の化学研究が益々発展することを祈念いたします。

最後になりますが、共著者である前田理先生、長田裕也先生、原渕祐先生、そして今回このような貴重な機会を与えてくださったChem-Stationスタッフの方々に感謝申し上げます。