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日本
FUJIFILM Finechemical News
研究者へのインタビュー
糖鎖を化学的に挿入して糖タンパク質を自在に精密合成

今回は、大阪大学大学院理学研究科(梶原研究室)・野村幸汰さんにお願いしました。

糖鎖はタンパク質・核酸にならぶ第3の生命鎖と呼ばれますが、これがタンパク質を修飾することで、タンパク質の特性は大きく変化します。しかし生命系に存在する糖鎖構造は不均質なもので有り、おのおのの糖鎖がどのような働きをしているかを実験的に調べることは困難を極めます。これを解決する唯一の手法が糖タンパク質の化学合成法であり、今回報告された新たな方法論は、誘導体合成の観点でも優れたものとなっています。J. Am. Chem. Soc.誌 原著論文・プレスリリースに公開されています。

“Glycoprotein Semisynthesis by Chemical Insertion of Glycosyl Asparagine Using a Bifunctional Thioacid-Mediated Strategy”
Nomura, K.; Maki, Y.; Okamoto, R.; Satoh, A.; Kajihara, Y.  J. Am. Chem. Soc. 2021143, 10157–10167. doi:10.1021/jacs.1c02601

研究室を主宰されている梶原康宏 教授から、野村さんについて以下のコメントを頂いています。今回の原稿を依頼してから僅か数日で原稿を頂け、筆者(副代表)自身もあまりの速さに驚きました。優れた仕事ぶりとアクティブさが、ちょっとした振る舞いからもうかがい知れます。それではインタビューをお楽しみください!

野村くんは、研究だけでなく、スポーツもこなし、かつその人柄からマルチ人間といえます。そして、野村くんは、そもそも未知のことが何でも知りたいという気持ちが強く、それを実験を通して知ろうとする気概が全ての成果を出したと言えます。

Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。

糖タンパク質は、ウイルスに対する免疫応答、炎症反応、細胞への信号伝達など様々な場面で機能する生体分子であり、その糖鎖機能や生物学的現象を詳細に調べることは、非常に重要であると考えられています。しかし、生体内のタンパク質に結合する糖鎖は、様々な構造を有しており、どの構造の糖鎖が重要かを特定することは非常に困難です。この問題の解決策の一つとして、化学合成した均一な構造を有する糖タンパク質を生体プローブとして用いる手法が挙げられますが、従来の糖タンパク質化学合成法では、平均して100工程以上もの合成ステップが必要であり、一般的に全合成は困難でした。

今回、我々はチオアシッドを鍵官能基として用いることで、化学選択的に糖鎖アスパラギンチオアシッド(1)とタンパク質(ペプチド)鎖(2)をつなぐ新規アミド結合反応“ジアシルジスルフィドカップリング(DDC)”を開発しました。さらにDDCを応用した合成ストラテジーによって糖鎖アスパラギン(1)をタンパク質の任意の位置(23の間)に自在に挿入するような糖タンパク質合成法を開発しました。

これにより、合成した糖鎖を迅速に糖タンパク質に組み込むことが出来、原料からわずか5工程程度で高純度な糖タンパク質の合成に成功しました。実際に開発した方法を用いて、合成した糖鎖を有するIL3の細胞増殖活性を測定し、糖鎖の機能を評価したところ、IL3とその受容体タンパク質間の結合を促進する新たな糖鎖の作用機序を考察することができました。

以上のように、今回我々が開発した全く新しい糖タンパク質合成法は、今後糖タンパク質上の糖鎖の機能解明研究の鍵となると考えられます。さらに、本合成法を用いることで迅速に糖タンパク質を調製できるため、糖タンパク質製剤への応用も可能であると考えられます。

Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。

この合成法の鍵となる“糖鎖の化学的挿入”という概念は、自在に分子を操って任意の場所に任意の分子を導入するという画期的手法であり、我々合成化学者にとって非常に野心的な挑戦でした。タンパク質を構成しているペプチド鎖はアミノ基やヒドロキシ基、カルボキシ基のような反応性の高い官能基が密集しているため、任意の場所に目的の化合物(今回の場合、糖鎖アスパラギン1)を縮合するには、非常に高度な化学選択的反応の開発が必要でした。このような化学選択的反応の例として、現在様々な生体共役反応が開発されており、糖タンパク質合成においても天然型と類似の結合様式を有したアナログの合成に応用されていますが、我々の目標は任意の場所で化学的に天然型のアミド結合を形成させることであったため、既知の反応とは全く異なる強力なアプローチが必要でした。そこで我々は、以前よりチオアシッド(-COSH)構造に着目しており1,2、今回チオアシッド(5及び6)をDMSO条件において穏和に酸化することで生じるジアシルジスルフィド中間体(7)が、容易に分子内アシル転位を起こし、選択的にアミド結合(8)を生じることを発見し、Diacyl disulfide coupling (DDC)として形にすることが出来ました。このような化学種を補足すると同時に活性化し、巧みな分子内転位を用いる縮合法は、素反応としても興味深く、さらに糖鎖の様な大型の構造にも応用できたことは大変意義深いと考えています。

また本反応の開発当初より、DDCは糖鎖以外の翻訳後修飾基(リン酸化やユビキチン化)にも応用できるのではないかと考えており、近い将来DDCを用いてほとんどすべての翻訳後修飾タンパク質の合成を行いたいと考えています。

Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?

今回の研究は, 反応開発から反応条件の最適化、目的とする生体分子の合成、及び活性評価に加えて、糖鎖の存在意義についての解釈というように、有機化学や生化学、及び構造生物学という広範な知識を要求されるものでした。この過程で、自らの脳をフルに働かせる機会が多く、その都度勉強する必要があり非常に刺激的でした。特に反応開発では、開発した反応がエピメリゼーションを起こさないことが証明できた際は、それまでの苦労が報われた思いで、大変嬉しかったことを覚えています。

また、普段行っているアミノ酸誘導体や糖鎖の化学合成と比較すると、タンパク質の化学合成は非常にセンシィティブな反応が多く、頭を悩ませる機会が多かったです。分子量1万や2万程度のタンパク質は一般的に疎水性官能基及び親水性官能基が超高密度に集合しているため、凝集など高分子独特の性質や不均一性を把握しながら、精密有機化学反応を実施する苦労があり、常に神経を尖らせている必要がありました。

Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?

元々はタンパク質鎖や糖鎖などの生体分子が有する立体構造の“美しさ”に魅せられ、現在まで梶原先生のご指導の元、博士課程の学生としてそれら生体鎖の化学合成を行って参りました。来年以降は有機化学、生化学というバックグラウンドを生かし、博士研究員として海外を拠点に有機触媒や反応開発を中心として、生体プローブや製薬など様々な観点から化学研究に精力的に邁進する予定です。その上で新たな化学のフロンティアを開拓できるよう、今後も真摯に化学と向き合いたいと考えております。

Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

生体分子は極めてシンプルかつ合理的にデザインされていますが、我々化学者は未だにその機能や構造を十分に理解し、組み立てることが困難です。ぜひ一緒に合成化学でその未解明な生命現象に切り込んでいきませんか?

まだまだ駆け出しの化学者ですが、日々研究室をはじめ多くの方々のご支援によって研究が出来ております。当研究室の梶原康宏先生、岡本亮先生、真木勇太先生をはじめとする多くの関係者の方々にはこの場を借りて感謝いたします。また、化学が専門でない方におかれましても、この論文が少しでも“化学”に興味を持つきっかけになれば幸いです。

参考文献
  1. Okamoto, R.; Nomura, K.; Maki, Y.; Kajihara, Y. “A Chemoselective Peptide Bond Formation by Amino Thioacid Coupling” Chem. Lett. 201948, 1391.
  2. Okamoto, R.; Haraguchi, T.; Nomura, K.; Maki, Y.; Izumi, M.; Kajihara, Y. “Regioselective α-Peptide Bond Formation Through the Oxidation of Amino Thioacids” Biochemistry 201958, 1672.